時代によって変わる資本主義の形を、欲望の人類史として紐解く
「欲望の資本主義」、この企画の発想は、実は、異才クリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」を見た時のインスピレーションから始まりました。映画自体は人の夢の中に入ってアイデアを植え付ける特殊能力を持つ人々の攻防戦を描く、一見非常に荒唐無稽なSFです。しかし、この眼差しを私たちが住む資本主義の世界に向けると、同じようにその時代ごとに富を生むルール、「欲望」の形が潜在意識に植え付けられ、人々は無意識に思考回路をコントロールされているという見方もできるのではないかというアイデアに至りました。寝ているとき、人がその世界を夢だと気づかないように、資本主義もまた、時代時代の幻想で人々を包み込み、あるストーリーを与えている、というわけです。
資本主義とひとことで言っても、富を生むルールには、時代によって異なる、壮大な歴史がありました。産業革命以前、例えば中世メディチ家の時代に、「利子」という時が富を生む魔術が誕生し、重商主義時代には国境を越え空間の差異で富を生むことを考える人が現れ、産業革命で技術の時代になると、工業生産主導による富が資本主義を推進していきます。その後、株式市場という仕組みが生まれ大衆の時代がやって来て、いよいよ現代につながる、金融システムで富が生まれる資本主義の誕生となるわけです。こうして数百年単位で大きく概観して見るだけでも、時代のルールの変遷が見えてきます。そして今私たちは、とりあえず投資して資産を増やすことがある種当然、常識とされるような、そんな時代に生きているわけですね。ただ、見る夢は変わっても、どの時代も、いつも何らかの夢を、資本主義はその推進力にしているのだと思います。
一本の映画をヒントに、欲望という「時代の無意識」を起点に資本主義の本質を考えるダイナミックな問いを視聴者のみなさんと共有できるのではないかと考えたわけですが、私自身普段から次々に異質なものをつなげ、そのフレームの中で新たな物語を紡ぐ映像というある意味人々の無意識を投影する仕事をベースとしていることも、こうした発想を飛躍させることに役立ったのかもしれません。
富のルールが時代ごとに変わる中、まるで夢見るようにそのルールの中で幸せを追い求める人々の姿、そこに企画の糸口が見つかりました。その結果、欲望というキーワードを横串に資本主義の変遷を捉え、現代を捉え直す企画へとつながっていったのです。