時代を超越していくような、野心的な建築が東京に登場してほしい
建築の歴史には、法制度やコストなどが理由で、完成に至らなかった「アンビルト建築」が数多く存在します。都市や建築の歴史学を専門とする私は、それら未完の建築の持つ優れたアイデアや新しい技術を振り返ることで、逆説的に建築の可能性を見られるのではないかと考え、2019年2-3月に「インポッシブル・アーキテクチャー展」を開催しました。そこでは、超高層化する時代に抗った磯崎新氏の「東京都新都庁舎計画」、まだ記憶に新しいザハ・バディド氏の「新国立競技場」など、迫力あるアンビルド作品の模型を展示し、建築の未来像を共有できる場をつくったのです。
インポッシブル・アーキテクチャー展で伝えたかったのは、未来を創造する力、斬新な都市空間を構想する力が少しずつ萎んでいるのではないかという危機感です。昭和、平成、そして令和と、都市が造り上げられてきたからこそ、新しく斬新な建築が実現する余地は小さく、特に東京みたいに完成されている都市では難しいと思います。バブルまでは、都内にも大型の公共施設で面白いこともできていましたが、それ以降は時代に沿うような無難な建築物が多くなった印象です。東京は資金を持っているはずなのに、実験的というか野心を持った建築に挑戦しないのはもったいないと思うんです。
一方、世界中のグローバル都市では、強烈なキャラクターを持った建築がどんどん作られています。アイコン建築と批判されますが、都市のアイデンティティを力強く放ち、多くの観光客を世界中から引き寄せています。そういった点では、ザハ・ハディド氏の新国立競技場のようなインパクトのある建築物が中止となったのは非常に残念でした。
実は今、学生の卒業設計を見ても、細やかで繊細だけど、スケールの大きなものを避ける傾向にあります。新しい試みに対して、出る杭は叩かれるような閉塞感が、トップ建築家のみならず学生にも及んでいると思うとさみしい気持ちになりますね。そういう危機感を昇華させる形で開催したインポッシブル・アーキテクチャー展を見た学生たちが、今年来年とどういう卒業制作をつくるのか気になります。