「人工知能」の概念の成立から半世紀。コンピューターサイエンスの外の分野へ架け橋をかけていく。

ICFコミッティーインタビュー – 伊藤穰一

「人工知能」の概念の成立から半世紀。 コンピューターサイエンスの外の分野へ架け橋をかけていく。

本来の意味での「人工知能」を考える。

「Innovative City Forum 2016」は、AI(Artificial Intelligence:人工知能)がひとつの大きなテーマとなります。人工知能という言葉が確立したのは今からちょうど50年前。1956年にダートマス大学で行われた会議で、人間のような知的活動を行う機械をつくっていく試みが始まったのですが、現在ではこの言葉はあまりにも多くのことを指すようになりました。コンピューターの将棋やチェス、家事や労働の補助、軍事目的のもの……。さまざまな物事に登場しつつあるのですが、その多くは画像検索、検索エンジン、自動運転といった機械学習の分野に集約されます。これは元の人工知能の考え方からすると、構成パーツのようなものです。そうしてもうひとつのカテゴリーが、AGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)。人間のように広く強力な適用能力を持つ、そもそもの「人工知能」が指していたことに近い分野です。共にとても重要ですが、今回のICFでは、よりAGIにフォーカスした議論となる予定です。

人工知能の一般化で問われる、人間の存在意義。

テーマのひとつになりそうなのが、「職」の未来。機械学習が進化することで、現在ある仕事のうち、繰り返しの作業(repetitive tasks)はロボットとコンピューターが分担できるようになってしまう。それが進んでいくと、人間はもはや働く必要がなくなるという議論もあるのです。これまでの教育システムは、産業革命後の大量生産を円滑に進めていくためのものでしたから、どちらかといえばロボットのようにきっちりと物事をこなせる人間を求めてきました。でも、人工知能が発達した未来には、それでは意味がありませんから、よりクリエイティブな教育が求められてでしょう。同時に、仕事をしなくても生活ができるというときに、人間は何を存在意義とするのだろうか? という議論も出てきます。仕事は生きていくためのお金を稼ぐ手段であると同時に、人のアイデンティティの拠り所でもありますから。つまり幸福とは何かといった話にもつながってくるんですね。その時に、たとえばアートや音楽といった趣味や、子育てなど、今は仕事とは思われていないようなものの位置づけは変わってくるでしょう。人工知能の発展は、社会的価値観の大きな転換にもつながってくるのです。

人工知能はどのように倫理を学習するのか。

また、人工知能が発達していく過程では、倫理の問題も大きく関わってきます。たとえば自動運転ひとつをとっても、法律だけ守っていればいいというわけではありませんよね? 眼前に危機的状況が現れた時に何を選択するのか、どういう時に車線を譲るべきか……。法律と倫理、どちらを元に選択すべきかは、とても曖昧なところがあるからです。急ブレーキを踏んでも決して間に合わないタイミングで、進行方向の先に10人の集団がいる。右側には子どもが一人いる。そして左側は壁。その場合どんな選択をするのが正しいのでしょうか? 自分を犠牲にする自動運車は、買わないという消費者も多いでしょうし、選択はさらに複雑です。哲学者たちが「トローリー問題」と呼ぶものの人工知能版ですね。ですから、倫理をどのように人工知能に教えていくのかが、とても重要な論点となってきました。そもそも人工知能の学習方法である機械学習とは、無数の事例をコンピューターに与え、そこからコンピューターが判断するものです。プログラミングするわけではないので、なぜその選択をしたか、という理屈は説明することができません。ですから、学習させるデータに差別的だったり、何かに偏ったバイアスがかかっていないかというのがとても重要になってきます。

アメリカは合理的な法律主義の国で、合法的に悪いことをするのは許されていて、逆に社会的に意義があっても違法なことはできない、といったようなところがあります。その点では、日本は倫理を大切にする文化ですから、たとえば日本のテレビ番組などは、人工知能に倫理を教えていくための大きなヒントとなるかもしれません。人間に倫理を教えることと、人工知能に倫理を教えることはかなり似ているのです。
これまで人工知能を議論するときには、コンピューターサイエンスの分野に留まることが多かったのですが、文化やコンテンツといったことが、重要なパーツになっていくのかもしれません。法律学者、社会学者、心理学者 さまざまな文化のつくり手を、より積極的に巻き込んでいこうというところまで、議論は進んでいます。
さらに、様々な人工知能が人間と共生する未来というのも考えるべきところですね。人工知能が人間のネットワークに混ざって住むことになる可能性が高いのですが、そういう時にどのように互いをとらえ、互いに関係し合いながら進化していくべきかという観点が出てきます。人工知能の時代の社会学、心理学といったものはどうあるべきかということですね。つまりここでも、哲学者、社会学者、心理学者といった他ジャンルとの交流がより強く求められるのです。これまで互いにあまり関わりを持ってこなかったコンピューターサイエンスと、人文的分野の人々をつないでいく必要性を、僕らも最近強く考えるようになりました。
今年のICFは、そんな場のひとつとなっていくかもしれません。

現代ならではの、新メタボリズムの可能性。

 また今年は、昨年のICFでも講演やセッションを行った「新メタボリズム」の議論を、さらに一歩押し進めるワークショップも考えています。1960年代に日本の建築家たちからメタボリズムが発信された時には、イメージは敷衍したものの、まだテクノロジーが足りておらず、イメージのままに終わってしまった。でもテクノロジーが十分に進化した現代ならば、可能なのです。建築はもちろん、バイオ、素材など、さまざまな分野の人々に集まってもらって、議論を深めていく予定です。当時の論を考え直していくのか、新しくムーブメントとして広げていくのか……。そういったところもまだ未定ですが、どうぞご期待ください。

ICFの強みとは

都市の未来を考える、「Innovative City Forum」のような会議は、世界中にいくつかあるのですが、ICFの強みは、都市やテクノロジーに加えて、アートや文化なども強いキーワードとして捉え、各分野のトップランナーが集うことですね。未来を考えていくときには、どれも欠かすことのできない分野でありながら、なかなか普通の会議ではつながらないジャンルでもあるのです。
東京という、交通などの点で利便性の高い場所での開催であることも魅力でしょうね。また、この都市そのものが、たとえば森ビルの開発ひとつをとっても、都市の発展をパッケージとして図ることのできる場でもありますから、実験の場としても興味深くもあります。そういった意味で、僕自身も、同様の会議のなかでも珍しい、毎年の展開が楽しみな会議となっています。

伊藤穰一

MITメディアラボ所長
伊藤穰一は、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長。株式会社デジタルガレージ共同創業者で取締役。ソニー株式会社社外取締役。PureTech Health取締役会議長。The New York Times、Knight財団、MacArthur財団、FireFox 開発の Mozilla Foundationのボードメンバー。 金融庁参与。金融庁「フィンテック・ベンチャーに関する有識者会議」委員。文部科学省「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」ガバニング委員会委員。慶応義塾大学SFC研究所主席所員。PSINet Japan、デジタルガレージ、Infoseek Japanなど多数のインターネット企業の創業に携わる他、エンジェル投資家としてもこれまでに、 Twitter, Wikia, Flickr, Kickstarter, Path, littleBits, Formlabs 等を初めとする有望ネットベンチャー企業を支援している。2008年米国Business Week誌にて「ネット上で最も影響力のある世界の25人」、2011年米国Foreign Policy誌にて「世界の思想家100人」、2011年、2012年共に日経ビジネス誌にて「次代を創る100人」に選出。2011年英オクスフォード 大学インターネット研究所より特別功労賞受賞。2013年米大学機構The New Schoolより名誉博士号(文学博士)を受位。2014年SXSW(サウスバイサウスウェスト)インタラクティブフェスティバル殿堂入り。2014年米 Academy of AchievementよりGolden Plate Award受賞。2015年米タフツ大学より名誉博士号(文学博士)を受位。2016年7月1日にMIT Media Arts and Science 実務教授に就任。