猪瀬直樹 Naoki Inose
東京都知事
1946(昭和21)年11月20日 長野県生まれ
1987年 『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞
1996年 『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞受賞
2002年 小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命
2006年 東京工業大学特任教授
2007年 東京都副知事
2012年 東京都知事 当選- ▲このページの上部へ
妹島和世 Kazuyo Sejima
建築家
茨城県生まれ。1981年日本女子大学大学院修了後、伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て、87年妹島和世建築設計事務所設立。95年西沢立衛とSANAA設立。近作に、金沢21世紀美術館*、ニューミュージアム*、ROLEXラーニングセンター*、犬島「家プロジェクト」、ルーヴル・ランス*他。現在、ラ・サマリテーヌ*(パリの百貨店)等が進行中。2010年プリツカー賞受賞。*印はSANAA
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ネリ・オックスマン Neri Oxman
MITメディアラボ メディアアート・サイエンス学部准教授
建築家でありデザイナーでもあるネリ・オックスマンは、ソニーコーポレーション・キャリア開発教授兼MITメディアラボの助教授を務める。MITメディアラボでは、デジタルデザインと生物学的デザインの統合を追求するメディエーテッド・マター・デザインリサーチグループを創設、運営している。オックスマンは、ICONの「我々の未来を形成する最も影響力ある建築家20人」(2009年)のリストに名を連ね、またFASTCOMPANYにより「最も創造的な人物100人」(2009年)の1人にあげられた。2008年には、SEED誌により「レボルーショナリー・マインド」に指名された。オックスマンの作品はニューヨーク近代美術館(MoMA、ニューヨーク)に展示されており、同美術館の常設展示品の一部となっている。2012年には、ジョルジュ・ポンピドゥー美術センター(フランス)が、オックスマンの作品を常設展示品として購入した。他の展示には、スミソニアン国立自然史博物館(ワシントンDC)、ミュージアム・オブ・サイエンス(ボストン)、FRACコレクション(フランス)、2010年北京ビエンナーレなどがある。また40アンダー40ビルディング・デザイン+コンストラクション賞(2012年)、グラハム財団カーター・マニー賞(2008年)、将来の重要デザインのための国際地球賞(2009年)、METROPOLIS次世代賞(2009年)などを受賞している。オックスマンは「マテリアル・エコロジー」という言葉を用いて、生態学を人工物の世界に結びつけようとしている。
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エリザベス・ディラー Elizabeth Diller
ディラー・スコフィディオ+レンフロ創設者
エリザベス・ディラーは、建築、視覚芸術、パフォーマンスアーツを統合する異分野総合スタジオ(スタッフ90人)、ディラー・スコフィディオ+レンフロ(DS+R)の創設者兼主宰者である。ディラーは、マッカーサー財団「天才」賞、スミソニアン・ナショナル・デザイン賞、アメリカ芸術文学アカデミーのブルンナー賞、ローマのアメリカン・アカデミー100周年栄誉賞を受賞している。ディラーはアメリカ芸術科学アカデミー及びアメリカ芸術文学アカデミーのフェローである。DS+R の国際的な作品群には、ニューヨークのリンカーンセンターの再設計とハイライン・パーク、ロサンゼルスのブロード・ミュージアム、スイスのブラービルディング、リオデジャネイロの映像・音響博物館、ボストンの現代美術館、コロンビア大学ビジネススクールとメディカル・センター、ハドソン・ヤーズのカルチャー・シェッド及びタワーD居住用ビルなどがある。ディラーはプリンストン大学建築学教授である。
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フィオレンツォ・オメネット Fiorenzo Omenetto
タフツ大学 生物医用工学学部教授
フィオレンツォ・オメネットは、タフツ大学の工学教授である。オメネットは医用工学教授であり、物理学教授にも任命されている。
彼が関わっている研究分野は、光学、ナノ構造物質(フォトニック結晶やフォトニック結晶ファイバーなど)、ナノファブリケーション、バイオポリマー(生体高分子)ベースのフォトニクスとエレクトロニクスなどである。2005年末にタフツ大学へ移って以降、オメネットはフォトニクス、オプトエレクトロニクス、ハイテク・アプリケーションの基盤素材に絹を使うことを提唱し、他に先駆けて開発に取り組んできた。フォーチュン誌によりスティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス、宮本茂らと並んでテクノロジー分野の1950年卒業組上位50人の1人に選ばれた。オメネット教授は、ロスアラモス国立研究所の元 J.ロバート・オッペンハイマー・フェロー、グッゲンンハイム・フェローであり、現在はアメリカ光学学会のフェローである。
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セバスチャン・スン Sebastian Seung
MIT 脳認知科学学部教授、MITメディアラボ工学神経科学教授
セバスチャン・スンは、MIT脳認知科学部及びMITメディアラボの工学神経科学教授である。彼はコネクトミクスという新分野の先駆者として、「あなたはあなたのコネクトームである」との仮説を検証している。これは、あなたの精神の属性――記憶から精神障害に至るまで――は、あなたの1000億に及ぶニューロン間のユニークな接続パターンに記号化されているとの説である。このような研究を可能にしようと、彼は脳からの「ビッグデータ」を解明するために機械と人間の知能を結合する方法を開発している。2012年に、彼のラボは誰でもどこでも脳を地図化するゲームを楽しむことができる初のウェブサイト、アイワイヤー(EyeWire)を立ち上げた。彼の著書「コネクトーム――脳の配線はどのようにして私たちを私たちたらしめるか」(“Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are”)は ウォールストリートジャーナル紙により2012年ノンフィクション部門トップテンに選ばれた。MIT教授陣に加わる前、彼はハーバード大学で学び、ベル研究所の理論物理学部門で研究していた。
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チェ・サンチョル Choe, Sang-Chuel
ソウル国立大学大学院環境研究科 名誉教授
チェ・サンチョルは現在、国立ソウル大学大学院環境研究学科の都市・地域開発分野の名誉教授であり、地域開発に関する大統領諮問委員会の委員長を務めてきた。
これまでに、ソウル特別市の研究部門である開発研究院院長や韓国と海外の独創的な都市形態研究の顧問を歴任。首都移転に反対する全国会議の共同議長を務め、韓国の革新的都市運動に参加してきた。
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リュー・タイ・カー Liu Thai-Ker
RSP Architects Planners & Engineers (Pte) Ltd 取締役
都市センター諮問委員会委員長著名な建築プランナーである Dr.リュー・タイ・カーは、1975年から1989年までシンガポールの住宅開発局(HDB)のチーフアーキテクト兼CEOの地位にあり、在任中に50万戸以上の住宅を建設した。1989年から1992年にかけては都市再開発局のチーフプランナー兼CEOとしてシンガポール・コンセプトプラン1991の大幅改正を陣頭指揮した。1992年以降はRSP Architects Planners & Engineers (Pte) Ltd 取締役の地位にある。同社はシンガポール他10数ヵ国から受注しているコンサルタント会社である。彼は中国の30近い大都市でプランニング・アドバイザーに任命されてきた。同時に、Centre for Liveable Cities(CLC)諮問委員会委員長の地位にある。さらに、シンガポール国立大学のデザイン・環境大学院と、リー・クアン・ユー公共政策大学院、南洋理工大学の非常勤教授も務めている。同時に、シンガポールのいくつかの政府機関のメンバーでもある。Dr.リゥはまた国内外でいくつかの賞を受賞している。
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辻慎吾 Shingo Tsuji
森ビル株式会社 代表取締役社長
1960年生まれ。1985年 横浜国立大学大学院工学研究科 修了。
森ビル入社以来、一貫して都市開発事業に従事。
六本木六丁目再開発事業推進本部 計画担当課長、六本木ヒルズ運営室長、タウンマネジメント室長などを担当の後、2006年に取締役、2008年常務取締役、2009年に副社長に就任。
東京都港区の「六本木ヒルズ」や中国・上海の「上海環球金融中心」などの開発でも実績を上げる。
職・住・文化など多彩な都市機能をコンパクトに複合した街づくりにおいて、出来上がった街をトータルにプロデュースし、街の価値を高める「タウンマネジメント」の手法を確立し、「豊かな暮らし」の実現とともに「進化し続ける街づくり」を実践する。
2011年6月より代表取締役社長に就任。
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リー・イエン・リャン Aaron Y.L.Lee
CEO of JUT Foundation for Arts and Architecture
Managing Director, JUT Groupリー・イエン・リャンは建築プロジェクトに世界一流のデザイナーチームを参加させて芸術と建築の融合を図ってきた。それと同時に彼は忠泰建設(JUTグループ)のために強力で革新的なイメージを作り出している。同建設の最大資産である土地と空間を利用してリーのJUT美術・建築財団はさまざまな芸術分野でのクロスメディア実験を進め、芸術と事業とのさまざまな提携関係を推進している。リーは移動ギャラリー「明日の美術館」の学芸員を務め、さらにアーバンコアプロジェクトなど多数の建築教育プロジェクトを立ち上げた。
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ビクター・ロー・チャン・ウィン Victor Lo Chung-wing
香港デザインセンター会長
ロー博士は香港証券取引所上場のゴールドピーク・インダストリーズ(ホールディングズ)社の会長兼最高経営責任者である。
ロー博士は香港デザインセンター会長と香港特別行政区政府クリエイツスマート・イニシアティブ・ベッティング委員会委員長でもある。彼はまた経済開発委員会委員であり、同委員会の製造業、革新技術、文化・創造的技術作業グループの召集者である。さらに彼は西九竜文化地区の委員であり、その美術館委員会会長である。
ロー博士は香港理工大学デザイン学部大学院名誉教授であり、同学部産業諮問委員会会長である。彼は同大学傘下で教育用、研究用のアイコンホテル取締役会会長である。彼はまた米国イリノイ工科大学デザイン研究所監督委員会委員でもある。
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増田宗昭 Muneaki Masuda
カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
1951年生まれ、大阪府枚方市出身。TSUTAYA、Tカードを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 社長兼CEO。
1983年、「蔦屋書店」を創業。
1985年、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社を設立。
2011年12月プレミアエイジと呼ばれる50代以上の大人たちに向けた新しい生活提案の場として、東京・代官山に「代官山 蔦屋書店」を中心とした「代官山T-SITE」をオープン。
世の中に「カルチュア・インフラ」を創り出す企画会社の経営者として奔走している。
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フランソワ・バンコン Francois Bancon
日産自動車株式会社 商品企画本部 事業本部長
フランソワ・バンコンは、パリ国立高等美術学校(エコール デ ボザール)卒業。ルノーに入社後、1999年に来日し、日産自動車(株)へ。グローバルデザイン本部パーシブドクオリティ部 部長、ゼロエミッション事業本部マーケティングコミュニケーショングループ クリエイティブディレクターなどを歴任。
現在は、商品企画本部 事業本部長として、ニッサンブランド、インフィニティブランドの商品グローバル戦略や先行商品企画を統括している。
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ティム・ブラウン Tim Brown
IDEO 社長兼CEO
ティム・ブラウンはIDEO(アイディオ)のCEO兼会長である。ティムはデザイン思考や技術革新の価値について世界中の業界人やデザイナーにしばしば語りかけている。彼はスイス、ダボスの世界経済フォーラムに参加しており、彼のスピーチ「シリアス・プレイ」と「Change by Design(デザインによる変化)」はTED.com.に掲載されている。
工業デザイナーの訓練を受けたティムは多数のデザイン関連の賞を受けており、その作品は東京のアクシスギャラリー、ロンドンのデザイン・ミュージアム、ニューヨークの近代美術館などに展示されている。彼は技術と芸術の収斂に特に関心があり、それにデザインを新興国の人々の福祉増進に役立てる方法にも興味を示している。
ティムはフォーチュン100社の上級経営幹部らに助言をしており、メイヨー・クリニック、マイクロソフト、ペプシコ、プロクターアンドギャンブル、スティールケースなどの組織と戦略的顧客関係を築いている。彼はメイヨーイノベーション諮問会議の委員、アキュメンファンドの諮問委員会委員でもある。アキュメンファンドは利益を目的としない世界的なベンチャーファンドであり、貧者の生活改善に力を入れている。さらに彼はハーバード・ビジネス・レビュー、エコノミストなど著名な雑誌に寄稿している。デザイン思考がどのように組織を変えるかを論じた彼の著書「Change by Design」は2009年9月ハーパービジネス社により刊行された。
ティムはデザイン思考のテーマについてブログを持っている。
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原研哉 Kenya Hara
デザイナー
1958年生まれ。グラフィックデザイナー。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインを重視して活動中。2000年に「RE-DESIGN─日常の21世紀」という展覧会を制作し、何気ない日常の文脈の中にこそ驚くべきデザインの資源があることを提示した。2002年に無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなり、アートディレクションを開始する。2004年には「HAPTIC─五感の覚醒」と題する展覧会を制作、人間の感覚の中に大きなデザインの資源が眠っていることを示した。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど日本の文化に深く根ざした仕事も多い。2007年、2009年にはパリ・ミラノ・東京で「TOKYO FIBER─SENSEWARE展」を、2008年から2009年にかけては「JAPAN CAR展」をパリとロンドンの科学博物館で開催。2011年には北京を皮切りに「DESIGNING DESIGN原研哉2011中国展」を巡回するなど、活動の幅をアジアへと拡大。現在は、日本の産業の潜在力を世界に提示するプロジェクト「HOUSE VISION」に注力している。著書「デザインのデザイン」や「白」はアジア各国語版をはじめ多言語に翻訳されている。日本デザインセンター代表取締役。武蔵野美術大学教授。日本デザインコミッティー理事長。日本グラフィックデザイナー協会副会長。
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名和晃平 Kohei Nawa
彫刻家
1975年生まれ。 彫刻家、京都造形芸術大学准教授。
独自の「PixCell 」という概念を機軸に、多様な表現を展開する。2009年より京都・伏見区に創作のためのプラットフォーム「SANDWICH」を立ち上げ、様々なプロジェクトに携わる。2011年には東京都現代美術館で個展を開催。2013年には瀬戸内国際芸術祭やあいちトリエンナーレへ参加。また、韓国・チョナン市に巨大な屋外彫刻“Manifold”を設置するなど、国内外で精力的に活動する。
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ファン・シェン-ユエン Huang Sheng-Yuan
建築家/フィールドオフィスアーキテクツ
1963年、台湾タイペイ(台北)生まれ。
台湾の東海大学建築学科を卒業、エール大学名誉修士号(建築学)を取得。
1994年に宜蘭県(台湾)に移る。
19年間建築分野の活動に参加し、現在はフィールドオフィス・アーキテクツ校長。
フィールド・スクールの指導者も兼ねている。ユエンは台湾中から参加している若手建築家グループと建築活動を開始し、徐々にローカル・エコロジー、水辺、都市スペースの多様な再開発へと活動範囲を広げている。
彼はまたファーイースタン・デザイン賞、ナショナル・ランドスケープ・リデベロップメント賞の他、10を超える台湾の建築賞を受賞しており。国際展示会、社会・文化活動への参加をたびたび要請されている。
ベニス建築ビエンナーレへの参加や、米国のMIT及びインド、シンガポール、中国の諸大学での講演を通じて、ファン・シェン-ユエンの率いるチームは、新世代の人々に台湾の潜在力を認識し、もっと多くの人々が台湾でのより健全で永続する生活の可能性を追求するよう呼びかけている。- ▲このページの上部へ
葛西秀樹 Hideki Kasai
株式会社大林組 プロポーザル部
1989年 大林組入社
再開発複合施設、オフィスビル、商業施設、映画撮影所、都市公園等の設計を担当する。
古代アレクサンドリア図書館の想定復元、「FUWWAT20502050」建設構想を手掛ける。
<主な受賞歴>
環境芸術大賞名古屋市景観賞
愛知まちなみ建築賞
北米照明学会デザイン賞 ・グッドデザイン賞- ▲このページの上部へ
山出淳也 Jun'ya Yamaide
NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事
アーティスト1970年大分生まれ。PS1インターナショナルスタジオプログラム参加(2000〜01)。文化庁在外研修員としてパリに滞在(2002〜04)。アーティストとして参加した主な展覧会として「台北ビエンナーレ」台北市立美術館(2000〜01)、「GIFT OF HOPE」東京都現代美術館(2000〜01)、「Exposition collective」Palais de Tokyo、パリ(2002)など多数。帰国後、地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指して、2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ現在にいたる。
別府現代芸術フェスティバル 「混浴温泉世界」 総合プロデューサー(2009、2012)
国東半島アートプロジェクト 総合ディレクター(2012、2013)
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)
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藤森義明 Yoshiaki Fujimori
株式会社LIXIL 代表取締役社長 兼 CEO
1951年東京生まれ、75年東京大学工学部卒業後、日商岩井入社(現 双日)。81年、米カーネギーメロン大学MBA取得。86年日本GE入社。97年米GEコーポレート・オフィサー、2001年アジア人初のシニア・バイス・プレジデント就任。08年日本GE会長兼社長兼CEO兼任。11年8月より現職。その他経済同友会副代表幹事・経済連携委員会委員長、東京電力社外取締役、カーネギーメロン大学 ボードオブトラスティー。
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マーク・ノーボン Mark Norbom
日本GE株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
GE本社 バイス・プレジデント1980年GEに入社。
1993年より台湾、インドネシア、タイのGE現地法人で社長を歴任。 2000年GEキャピタル・ジャパン社長兼CEOとして来日し、その後、日本GE社長兼CEOに就任。
2003年よりプルデンシャル、サーベラスを経て2007年 日本GE社長兼CEOに復帰。2008年GEチャイナの社長兼CEOに選任。2011年3月、日本GEに戻って以来現職。
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サスキア・サッセン Saskia Sassen
コロンビア大学社会学部教授
ロンドン・スクールオブエコノミックス客員教授サスキア・サッセンはコロンビア大学社会学部教授、同大学グローバル思考に関する委員会の共同委員長である(http://www.saskiasassen.com)。数冊の著書があり、そのうち5冊はごく最近日本語に翻訳されている。The Global City: New York, London, Tokyo (『グローバル・シティ――ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』、筑摩書房、2008年11月)、Territory, Authority, Rights (『領土・権威・諸権利――グローバリゼーション・スタディーズの現在』明石書店、2011年)など。近刊書はExpulsions: When complexity produces elementary brutalities (Harvard University Press 2014)。これまでに、複数の名誉博士号を贈られた他、Foreign Policy 誌によりグローバル思想家トップ100人の1人に選ばれ、2013年アストゥリアス皇太子賞社会科学部門の受賞者となるなど、様々な賞を受けている。
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カレン・タン Karen Tang
ベター香港財団 エグゼクティブディレクター
カレン・タンは2006年にベター香港財団のエグゼクティブディレクターに任命された。大学卒業後、タンは香港特別行政区(HKSAR)の基本法諮問委員会に行政官として参加した。コンサルタント活動を終えた後、彼女は、明報(Ming Pao)の雑誌ディレクター、亞洲週刊(Yazhou Zhoukan)の部長、中国テレビジョンネットワークの副部長、香港テレコムIMSのディレクター、ハチソン・ワンポア・グループのマルチメディア部長及びメディア及びEコマース(電子商取引)部長に就任するなど、マルチメディア業界でキャリアを伸ばしてきた。
タンは、2001年には董建華選挙事務所で、2012年には梁振英選挙運動事務所で(HKSARの行政長官選挙において)活動した。両候補とも当選した。タンは社会学の学士号と行政学の修士号を取得している。
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蜷川実花 Mika Ninagawa
写真家
映画監督木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映像作品も多く手がける。
2007年、映画『さくらん』監督。
2008年、個展「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回し、のべ18万人を動員。
2010年、Rizzoli N.Y.から写真集「MIKA NINAGAWA」を出版、世界各国で話題となる。
2012年7月、監督映画『ヘルタースケルター』が全国公開、22億円の興行収入を記録。
2013年春上海・外灘に内装プロデュースを手掛けたカフェ&バー「Shanghai Rose」がオープン。
蜷川実花の世界を気軽に表現できる無料カメラアプリ「cameran」リリース中。http://cameran.in
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マイク・モラスキー Michael S.Molasky
早稲田大学国際学術院大学教授
1956年米セントルイス生まれ。
76年に初来日し、延べ20年日本滞在。シカゴ大学大学院東アジア言語文明学研究科博士課程修了(日本文学で博士号)。
ミネソタ大学教授、一橋大学教授、2013年9月から早稲田大学国際学術院教授。専門は日本文化研究。
日本語の著書に『戦後日本のジャズ文化』(青土社、2005年、サントリー学芸賞受賞)、『占領の記憶/記憶の占領』(鈴木直子訳、青土社、06年)、『その言葉、異議あり!――笑える日米文化批評集』(中公新書ラクレ、07年)、『呑めば、都』(筑摩書房、12年)など。
最近は、13年3月にエッセイ集『ひとり歩き』(幻戯書房)を刊行。近く、『日本の居酒屋文化――赤提灯の魅力を探って』(仮題、光文社新書)も出版予定。
ジャズピアニストとして、ソロCD「Dr. U-Turn」(STUDIO SONGS /BAJ Records)、ライブCD「Mike Molasky Trio――Live! Back at Aketa !」(アケタズ・ディスク)もある。
趣味は、将棋、尺八、太極拳、落語鑑賞、そして路地裏の赤提灯探索。
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古賀義章 Yoshiaki Koga
講談社 国際事業局 担当部長(インドプロジェクト・ディレクター)
元「クーリエ・ジャポン」編集長1964年佐賀県生まれ。89年、編集者として講談社入社。多種多様な異文化をバックパッキングで体感した経験を活かし、『週刊現代』や『フライデー』の編集者・記者として国内外の数多くの社会事件・災害を担当。独自の取材と切り口で活躍する傍ら、プライベートで写真を撮り続けるフォトグラファーでもある。2001年の研修留学中にフランスで出会った国際情報誌「クーリエ・アンテルナショナル」に着目し、そのコンセプトを生かした「COURRIER JAPON(クーリエ・ジャポン)」を2005年に立ち上げ、創刊編集長に就任。2010年に編集長を退任し、現在、講談社の国際事業局にてインド事業開発を担当。初の日印共同制作アニメとして注目を集めたインド版アニメ「巨人の星」こと「スーラジ ザ・ライジングスター」を企画・製作し、チーフ・プロデューサーを務める。
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三浦俊章 Toshiaki Miura
朝日新聞GLOBE 編集長
鹿児島県出身。早稲田大学政治経済学部卒、国際基督教大学大学院修士課程修了。1984年、朝日新聞社入社。政治部、アエラ編集部、ワシントン特派員などを経て、論説委員として政治・外交を担当。2009年8月~2010年7月、米ハーバード大学日米関係プログラム研究員。2011年4月~2013年3月、テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター。同年4月からGLOBE編集長。
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青山 佾 Yasushi Aoyama
明治大学公共政策大学院教授
1967年、東京都庁に入庁し、都市計画局課長、高齢福祉部長、計画部長、政策報道室理事等を経て、99年から03年まで、東京都副知事として危機管理・都市構造・財政等を担当。
04年から明治大学大学院教授。
専門は、都市政策・危機管理。著書に『都市のガバナンス』『自治体の政策創造』(いずれも三省堂)、『痛恨の江戸東京史』(祥伝社)、郷仙太郎のペンネームで『小説後藤新平』(学陽書房)など。博士(政治学)- ▲このページの上部へ
ビル・キスラー Bill Kistler
キスラー・アンド・カンバニー マネージング・パートナー
都市および不動産業界に顧問・投資・開発サービスを提供。最近では学術界/産業界/政府リーダーのネットワークであるナレッジ・シティパートナーズを共同設立した。
それ以前はコーン・フェリー・インターナショナルでシニアパートナーを務め、EMEA(欧州・中東・アフリカ)における不動産事業を主導。
2003年から2009年までULIでEMEA地域プレジデントを務める。ULI以前は欧米に事務所を構える不動産業界専門のコンサルタント調査会社のエキノックス・パートナーズでマネーディング・ディレクターを務める、同社の顧客にはデベロッパー、投資家、企業、政府期間がある。
それ以前は、ディズニー・デベロップメント・カンパニーでディズニーランド・パリのヴァル・デューロップ担当ゼネラル・マネジャーを務める。このほか、JMBプロパティーズ(シカゴ)やクッシュマン・アンド・ウェイクフィールド(ニューヨーク)で要職を務めたほか、IBMではニューヨークおよびパリにおける同社の不動産事業を統括。ULIのトラスティーを務める。
南カリフォルニア大学にて建築学士号を取得。建築士。- ▲このページの上部へ
アダム・G・ウィリアムズ Adam G Williams
AECOM(エーイーコム) 企画開発(場所/建物)担当プラクティス・リーダー
2006年AECOM社入社。オーストラリアで企画・設計・都市政策を専攻。数々のグローバルなマスタープラン計画に幅広い総合的なソリューションを提供するチームを主導。主要な関心事に都市形態と都市社会の関係の探求がある。
メルボルンとリオデジャネイロを拠点に2016年リオデジャネイロオリンピックおよびオリンピック後のレガシーパークマスタープランのデザイン/開発を担当する多分野にまたがるチームを主導、7つのオリンピック会場の設計、国際放送センター(70,000m2)の設計を担当。
このほか、サンパウロとベロオリゾンテの数々の大規模な都市再生プロジェクトに従事。それ以前は2012年ロンドンオリンピックおよびオリンピック後のレガシーマスタープランのプロジェクトディレクターを務め、大規模住宅を中心とする再生計画を通じてオリンピック関連投資を活用してイーストロンドンの再生に従事。同プロジェクトでのオリンピック以外の大きな成果の一つに、欧州最大の計画案を提出し全面的に承認を得たことが挙げられる。
手頃な住宅の分析、出願提出、コンサルティングプログラム、投資家と開発パートナーの橋渡しなど企画調整過程を統括。このほか、ビクトリア州政府(オーストラリア)、世界大都市圏協議会(バルセロナ)、ソロモン諸島政府の上級政策顧問など国際的な要職を歴任。- ▲このページの上部へ
鈴木和洋 Kazuhiro Suzuki
シスコシステムズ合同会社 専務執行役員 エンタープライズ事業
シスコシステムズ合同会社 専務執行役員としてエンタープライズ事業を担当。 これまでに、マイクロソフト株式会社 執行役として、金融、流通・サービス、製造を中心としたインダストリー営業、グローバル企業向け営業、サーバープラットフォームビジネスなどをリード、 日本アイ・ビー・エム株式会社では通信事業者向けの営業、ビジネス開発を担当。 その後、日本チボリシステムズ 代表取締役社長、ダブルクリック株式会社 代表取締役社長 兼 CEO を歴任。 ICT の分野で豊富なマネジメントの経験を有する。 1983 年 慶應義塾大学 経済学部卒。
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マニュエル・ホセ・ボルハ=ヴィレル Manuel J. Borja-Villel
レイナ・ソフィア国立美術館館長
1957年バレンシア州生まれ。1980年にバレンシア大学地理学・歴史学部で美術史の学位を取得。1981-82年にはエール大学の聴講生、1981年から83年までフルブライト奨学金を得る。1987年、ニューヨーク市立大学で哲学の修士号を取得、1988-89年に美術史でクレス財団のフェローシップ(特別研究員奨学金)、1989年にニューヨーク市立大学大学院で美術史の博士号を取得した。特にロドチェンコ、抽象的表現主義、ブルジョワ、ブラッサイ、ジャコメッティ、現代スペイン美術について執筆活動を続けてきた。
1990年6月の開設から1998年7月までバルセロナのアントニ・タピエス美術館館長、1998年7月から2008年1月まで、バルセロナ現代美術館の館長を務めた。
他方、2007年8月から2010年11月までCIMAM (ICOM にリンクしている現代美術館・コレクション国際委員会) の会長を務めた。現在はアメリカンセンター財団など、いくつかの国際組織のメンバーである。
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デヴィッド・エリオット David Elliott
初代森美術館館長
デヴィッド・エリオットはキュレーター、ライターで、これまでにオックスフォード、ストックホルム、東京、イスタンブール、シドニー、キエフの現代美術館館長を歴任。現在、英国と米国で2つの移動展覧会に取り組んでいる他、ロンドンのトライアングル・アート・ネットワーク/ガスワークスの理事長、グッゲンハイム美術館アジア諮問委員会委員、香港中文大学でキュレーターシップの客員教授を務めている。
また、旧ソ連・ロシアの前衛美術及び近現代アジア美術の専門家で、これらの分野や現代美術の他の様々な側面について広く著作を刊行し、2008-10年にはシドニーの第17回ビエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務め、2011-12年にはキエフ(ウクライナ)で初開催の現代美術国際ビエンナーレを監督した。さらに、香港ジョッキー・クラブ・チャリティーズ・トラストのアドバイザーとして、香港旧中央警察署を現代美術と遺産のためのセンターへ転用するプロジェクトを指導している。- ▲このページの上部へ
高階秀爾 Shuji Takashina
大原美術館館長
大原美術館館長、(公財)西洋美術振興財団理事長、東京大学名誉教授、
1932年東京生まれ。1953年東京大学教養学部教養学科卒業。東京大学大学院在学中1954~1959年フランス政府招聘給費留学生として渡仏、パリ大学付属美術研究所及びルーヴル学院で西洋近代美術史を専攻。1959年国立西洋美術館勤務。1971年東京大学文学部助教授。1979年同教授。1992年国立西洋美術館長。2000年同退官。2000年西洋美術振興財団理事長。2002年大原美術館館長。2004年京都造形芸術大学大学院院長(2008年退任)、同比較芸術学研究センター所長(2009年退任)。
1992年東京大学名誉教授。1997年パリ第一大学名誉博士。
【海外研究】
1967~1968年ニューヨーク他(ロックフェラー三世財団招聘研究員)。1974年ロンドン(ブリティッシュ・アカデミー招聘研究員)。1977~1978年パリ(国立ポンピドゥー芸術文化センター客員教授、近代日本美術史セミナー担当)。1981~1982年ノース・カロライナ(ナショナル・ヒューマニティーズ・センター研究員)。1983年ベネツィア(チーニ財団研究所国際文化講座講師)。1987年パリ(コレージュ・ド・フランス招聘教授)。1990~1991年ケンブリッジ(ハーヴァード大学招聘研究員)
【受賞】
1971年芸術選奨文部大臣賞、1972年翻訳文化賞、1981年フランス、芸術文芸シュヴァリエ勲章、1988年放送文化賞、1989年フランス、芸術文芸オフィシエ勲章、1996年フランス、芸術文芸コマンドール勲章、1997年明治村賞、1998年日本文化デザイン大賞、2000年紫綬褒章、2001年フランス、レジオン・ドヌール シュヴァリエ勲章、2002年日本芸術院賞・恩賜賞、2003年イタリア、グランデ・ウフィチャーレ勲章、2005年文化功労者。2012年文化勲章。
【主著】
『世紀末芸術』(ちくま学芸文庫)、『芸術空間の系譜』(鹿島出版会)、『美の思想家たち』(青土社)、『名画を見る眼』正続(岩波新書)、『ルネッサンスの光と闇』(中公文庫)、『日本近代美術史論』(ちくま学芸文庫)、『近代絵画史-ゴヤからモンドリアンまで』上下(中公新書)、『近代日本の美意識』(青土社)、『歴史のなかの女たち』(岩波現代文庫)、『西欧芸術の精神』(青土社)、『ルネサンス夜話』(平凡社)、『ピカソ-剽窃の論理-』(ちくま学芸文庫)、『想像力と幻想-西欧一九世紀の文学・芸術-』(青土社)、『20世紀美術』(ちくま学芸文庫)、『日本美術を見る眼』(岩波書店)、『フランス絵画史』(講談社学術文庫)、『西欧絵画の近代』(青土社)、『日本絵画の近代』(青土社)、『世紀末の美神たち』(青土社)、『19・20世紀の美術<岩波日本の流れ>』(岩波書店)、『芸術のパトロンたち』(岩波新書)、『西洋の眼 日本の眼』(青土社)、『バロックの光と闇』(小学館)、『肖像画論』(青土社)、『誰も知らない「名画の見方」』(小学館)他。
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片岡真実 Mami Kataoka
森美術館チーフ・キュレーター
民間シンクタンクで文化政策・都市開発と芸術文化プロジェクトに関する調査研究を行った後、1997年から東京オペラシティアートギャラリーにてチーフ・キュレーター。2003年より森美術館。2007年から2年間、ヘイワード・ギャラリー(ロンドン)でインターナショナル・キュレーター兼務。2012年にはサンフランシスコ、アジア美術館でゲスト・キュレーション、第9回光州ビエンナーレの共同アーティスティック・ディレクター。
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ジョン・ヒョン・ミン Chung Hyung-Min
韓国国立現代美術館ディレクター
1971-75年:ウェルズリー大学在学、学士号取得(美術史)
1976-79年:ミシガン大学大学院、修士号取得(美術史)
1983-93年:コロンビア大学[大学院]、博士号取得(美術史)
<経歴>
2012年1月-現在:韓国国立現代美術館ディレクター
1994年-現在:国立ソウル大学美術学部教授(美術史)
2006年1月-2012年1月:国立ソウル大学美術館ディレクター
2006年-2008年:韓国芸術理論協会会長
1999-2001年:ソウル美術センター展示ディレクター
<著書>
* Modern Korean Ink Painting (韓国国際交流財団/Hollym, 2006年)
*Technical Drawing of the Late Joseon Korea(SNUPRESS, 2007年)
*The Concept of the 'Orient' and Modern Korean Art(SNUPRESS, 2011年)- ▲このページの上部へ
ラース・ニッティヴェ Lars Nittve
M+美術館エグゼクティブディレクター
2011年1月より西九文化区管理局(香港)に参画。2001年より2010年までストックホルム近代美術館館長、1998年より2001年までテート・モダン初代館長を務めた。 スウェーデン・ストックホルム大学、マルメのルーセウム現代美術センター、デンマーク・フムレベックのルイジアナ近代美術館などで館長、キュレーター、芸術分野の教育者として30年以上にわたり国際的に活躍。 スウェーデンのウメオ大学名誉博士号を授与され、2010年同大学教授に任命される。
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ユージン・タン Eugene Tan
シンガポール国立美術館館長
シンガポール経済開発庁プログラム・ディレクターユージン・タンは2015年に開設が予定されているシンガポール国立美術館の館長である。タンはシンガポール経済開発庁プログラム・ディレクターも兼務している。これまでにタンは、シンガポールのサザビーズ美術館の現代美術ディレクター、現代美術シンガポールのディレクターなどを歴任。タンはマンチェスター大学で博士号(美術史)を取得し、2006年にシンガポール・ビエンナーレの共同キュレーター、2005年には第51回ベネチア・ビエンナーレでシンガポール・パビリオンのキュレーターを務めた。
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黒川 清 Kiyoshi Kurokawa
政策研究大学院大学アカデミックフェロー
医学博士。69~84年在米、UCLA医学部内科教授、東大医学部教授、東海大医学部長他を経て現職。国際科学者連合体の役員等を務め、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員、内閣特別顧問、国会の福島原発事故調査委員会委員長(2011年12月‐12年7月)などを歴任。ブログ:http://www.KiyoshiKurokawa.com/
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グレン・ラウリィ Glenn D. Lowry
ニューヨーク近代美術館館長
グレン・ラウリィは1995年にニューヨーク近代美術館の第6代館長に就任、760人のスタッフを率い、展示・作品購入・出版と多岐にわたるプログラムを取り仕切っている。
現代アートの強力な擁護者であるラウリィ氏は、現代アートとアーティストを支援し、とりわけ社会における美術館の役割を重視して広範囲な講演・執筆活動を続けている。
ラウリィ氏は森美術館インターナショナル・アドバイザリー・コミッティー及びイスタンブール・モダーン・インターナショナル・アドバイザリーボードのメンバーである。またアガカーン建築賞運営委員会、アメリカ哲学学会、全米美術文学アカデミーのメンバーでもある。
ラウリィ氏は1954年にニューヨーク市で生まれ、ウィリアムズタウン(マサチューセッツ州)で育った。ウィリアムズ・カレッジ(ウィリアムズタウン)を極めて優秀な成績で卒業、文学士号を取得した。その後ハーバード大学で美術史の修士号(1978年)、博士号(1982年)も取得している。
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ニコラス・セロータ Nicholas Serota
テート館長
ニコラス・セロータは1988年以来、テート館長に就任。それ以前は、ホワイトチャペル・アートギャラリー、ミュージアム・オブ・モダーンアート(オックスフォード)の館長を務めた。セロータの館長就任以降、テートはテート・セント・アイヴス(1993年)やテート・モダン(2000年)を開設し、またミルバンクの建物を改修してテート・ブリテン(2000年)として発足させた。テートは対象分野を広げ、ラテンアメリカ、アジア、中東、アフリカの作品を集めるだけでなく、20世紀の写真、映画、パフォーマンス、時には建築も所蔵に加えている。最近では、テート・モダンでサイ・ツォムブリ(Cy Twombly、2008年)、ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter、2011年)の展示に関して共同キュレーターを務め、現在は2014年に向けてマチス「カットアウツ」展示(‘Cut-Outs' exhibition)に取り組んでいる。
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竹中平蔵 Heizo Takenaka
慶應義塾大学教授
森記念財団都市戦略研究所所長
アカデミーヒルズ理事長1951年和歌山県生まれ。一橋大学経済学部卒業。
ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣を皮切りに、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣兼務、総務大臣を歴任。2006年より現職。経済学博士。
著書は、『経済古典は役に立つ』(光文社)、『竹中式マトリクス勉強法』(幻冬舎)、『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』(日本経済新聞社)、『研究開発と設備投資の経済学』(サントリー学芸賞受賞、東洋経済新報社)など多数。
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市川宏雄 Hiroo Ichikawa
明治大学専門職大学院長
森記念財団理事1947年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、同大学院博士課程を経て、カナダ政府留学生としてウォータールー大学大学院博士課程修了(都市地域計画、Ph.D.)。
(財)国際開発センター、富士総合研究所主席研究員、明治大学政治経済学部教授(都市政策)を経て現職。専門は都市政策、危機管理、次世代政策構想。日本初の「世界の都市総合ランキング (Global Power City Index)森記念財団」の主査を務める。
東京都や特別区等の基本構想審議会、都市計画審議会等の会長・委員などのほか、国土交通省、国際協力機構などの委員を多数歴任。
現在、明治大学危機管理研究センター所長、日本テレワーク学会会長、日本自治体危機管理学会常任理事、日本公共政策学会監事。NPO活動として、日本危機管理士機構理事長、日本の未来をつくる会副理事長、都心のあたらしい街づくりを考える会理事、日本救助犬協会理事長など。
著書に『東京の未来戦略』(共著、東洋経済、2012年)、『山手線に新駅ができる本当の理由』(単著、都市出版、2012年)、『日本大災害の教訓』(共著、東洋経済、2011年)、『日本の未来をつくる』(共著、文藝春秋、2009年)、『グローバルフロント東京』(編著、都市出版、2008年)、『文化としての都市空間』(単著、千倉書房、2007年)、『東京都を読む事典』(編著、東洋経済、2002年)、『首都圏自治体の攻防』(編著、ぎょうせい、2001年)、『しなやかな都市 東京』(単著、都市出版、1994年)「Global Power City Index Year Book 2012」(編著、森記念財団、2012年)など多数。
DVDに『Learning from Tokyo』(JICA、日英語版、2004年)、『現代日本の危機管理』(明治大学、日英語版、2011年)。
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南條史生 Fumio Nanjo
森美術館館長
1949年東京生まれ。1972年慶應義塾大学経済学部、1976年文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。1978~86年国際交流基金職員、1986~90年ICAナゴヤディレクター、1990年~2002年ナンジョウアンドアソシエイツ主宰、2002~06年森美術館副館長を経て2006年11月より現職。1997年ヴェニス・ビエンナーレ日本館コミッショナー、1998年台北ビエンナーレコミッショナー、ターナープライズ(英国)審査委員、2001年横浜トリエンナーレ2001アーティスティック・ディレクター、2005年ヴェニス・ビエンナーレ金獅子賞国別展示審査員、2006年及び2008年シンガポールビエンナーレ アーティスティック・ディレクター等を歴任。1995年新宿アイランド、1997年博多リバレイン、2002年以降の六本木ヒルズ、2006年シンガポールヴィヴォシティ等のパブリックアート計画、1999年大林組東京本社コーポレートアート計画などのアートディレクションも行う。慶應義塾大学非常勤講師として、アートマネジメント講座(1991年~)、アートマネジメント大学院講座(2011年~)、グローバルセキュリティ研究所開設講座「アートと社会」(2010年~現在)。CIMAM(国際美術館会議)及びAICA(国際美術評論家連盟)会員。近著に「疾走するアジア~現代美術の今を見る~」 (美術年鑑社、2010年)、「アートを生きる」(角川書店、2012年)がある。
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伊藤穰一 Joichi Ito
MITメディアラボ所長
MITメディアラボ所長の他に、株式会社ソニー社外取締役、デジタルガレージ共同創業者・取締役、The New York Times、Knight財団、MacArthur財団、Creative Commonsのボードメンバー。
FireFox 開発の Mozilla Foundation、WITNESS等の非営利団体のボードメンバーも務める。
PSINet Japan、デジタルガレージ、Infoseek Japanなど多数のインターネット企業の創業に携わる他、エンジェル投資家としてもこれまでに、 Twitter、 Six Apart、 Wikia、 Flickr、 Last.fm、 Fotonauts、 Kickstarter、 Path等を始めとする有望ネットベンチャー企業を支援している。
2008年米国Business Week誌にて「ネット上で最も影響力のある世界の25人」、2011年米国Foreign Policy誌にて「世界の思想家100人」、2011年、2012年共に日経ビジネス誌にて「次代を創る100人」に選出。2011年英オックスフォード大学インターネット研究所より特別功労賞受賞。
世界の都市未来をデザインする