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ヒルズライフデイリー《ICF スペシャルインタビュー vol.1》

義足のバイオニックポップスター、ヴィクトリア・モデスタが探求し続けるものとは?

ヴィクトリア・モデスタ | バイオニック・ポップアーティスト/クリエイティブ・ディレクター/MITディレクターズ・フェロー/フューチャリスト

ヴィクトリア・モデスタ

肩書きは「バイオニック(生体工学の)ポップスター」。ロンドンで開催されたパラリンピックの閉会式でのパフォーマンスで一躍スターに躍り出た歌姫は、音楽、アート、技術、科学の境界を軽やかに超えながら、生体工学の可能性を指し示す。今秋開催される「Innovative City Forum 2017」のアート&サイエンス セッションに登壇するヴィクトリア・モデスタの人となりに迫る。

TEXT BY Yumiko Sakuma
PHOTO BY Lisa Kato

自分の人生をどうやって進化させるか

インタビューをして写真を撮りたい、というメールにすぐに返事があった。ある夏の天気の良い日、日射しが燦々と入るカフェを指定したら、「ちょっとイメージが違う気がする」というメールが返ってきた。日射しの入らない廊下で写真を撮ったあとに話を聞いて、「自分の人生をクリエイティブ・ディレクションする」という彼女のアプローチに納得した。

まずは幼少の頃の話を聞かせてください。

覚えているのは5歳の頃、医師が私の足を見てショックを受けていたこと。そもそもソビエト連邦の支配下のラトヴィアで、母が私を出産したときにおきた医療ミスのせいで、臀部の関節がはずれ、片足の神経が損傷したの。当時のソ連では、障害を持つ人間は施設に入れるべき、と信じられていた。医師たちは「長生きしない」とか「学習障害が出るだろう」といって脅したけれど、幸いにも母はそれを信じなかったの。

それでも片足が育たず、6歳から11歳の間に15回も足を伸ばすための手術を受ける羽目になった。子供時代のほとんどを病院で過ごしたけれど、結局、瘢痕組織が増えるばかりでダメージのほうが大きかった。その後、12歳のときに家族でロンドンに移住した。ソ連崩壊後のラトヴィアは決して住みやすい場所ではなかったから。何をするにしてもチャンスが限られていて、逃げるような気持ちだった。

そこからどうやって自分を発見したのですか?

ロンドンに移住して最初の数年は、ティーンエージャーであることを楽しんだ。それまでは病院にばかりいて、教育もほとんど受けられなかったから。当時の私は、ロシア語を母国語とするラトヴィア人で、しかも肉体に問題を抱えていたから、アイデンティティを模索していた。ソウル・サーチ(自分探し)をするなかで、さまざまな音楽を聞き、ファッションを見て、いろいろなトライブ(部族)の人たちを観察した。

そして15歳の頃、アバンギャルド・アートの存在を知ったの。アーティストのマシュー・バーニーやファッションデザイナーのアレキサンダー・マックイーンを発見し、振付家でダンサーのマリー・シュイナールを知って、自分の好きな方法で肉体を使って、アートにすることを学んだ。想像力を逞しくして、人生に情熱を持てるようになって、何にでも挑戦してみたくなった。自分の肉体がどんな意味を持つのか、どうやって進化していくのか、自分の人生をどうやってクリエイティブ・ディレクションするかを想像できるようになった。

16歳になって音楽が好きだと自覚するようになり、ボーカルレッスンを受け始めた。入院する以前の幼少時にも、少しだけ音楽学校に通っていたの。といっても、たまにしか行けなかったけれど。ピアノのクラスを受けたり、楽団のリーダーを務めたり。そして20歳になる頃には、ライターやプロデューサーとコラボレーションできるようになった。

幼少の頃、想像力を得ることができた理由をどのように分析していますか?

病院を出られないとき、私の想像力を助けてくれたのはディズニーの映画だった。だから、誰の道も特別で、すべてのことが可能で、より良い将来を想像するべきなんだって信じていたわ。

ロールモデルで満足などしていられない

足を切断する決意に至った経緯は?

16歳の頃には、自分の中で「切断したい」と思っていた。でもその願いはなかなか聞き入れられなかった。4年間、専門家の間をたらい回しにされて、あらゆる処置がとられたけれど、修復できる状態じゃないってことは誰にも明らかだった。

その頃にはすでにモデルをやったり、ミュージック・ビデオに出たりしていて、すべてに挑戦したかったけれど、自分の肉体を100%使えないことが不満だった。だからお金を貯めて、医療コンサルタントに会いにいったの。自分の肉体をこう変えて、自分はこうやって生きるんだってイメージを記したファイルを渡して、「切断するって決まるまで帰らない」と言ったの。性転換した人のストーリーに似ているかもしれないけれど、これをしないと自分は前に進めないという確信があった。手術後は、古い皮膚を脱ぎ捨てたような気がしたわ。過去の自分と今の自分はもうまったく関係がないって思えた。

何に突き動かされたのでしょう?

勇敢とか強さとかではなかった。子供の頃は生き残ることがすべてだったけれど、大人になってからは違うと思う。自分の人生と肉体を、いかに自分の思うように使うことができるか。指が何本あるか、足が何本あるかが重要な既存の社会の価値観のなかで、いかに自分らしく生きるかは自分次第ということに気がついた時点で、哲学的な追求に突き動かされたのだと思う。

あなたは、これからのあるべき社会を映す「ロールモデル」としての役割を期待されていますね。

その概念を素晴らしいと思う一方で、それだけではダメだということもわかっている。義足の人たちのためにキャンペーンするだけでは意味がない。自分の独特な立ち位置を活かして、音楽、芸術、テクノロジー、ファッションといった分野の境界線を超えて新しいアイディアを探求すること。義務教育を受けなかったおかげで、私の知性は常識と好奇心と本能でできている。その結果、境界線に縛られない自分でい続けられるのかもしれない。

プロフィール

ヴィクトリア・モデスタ

1987年ラトヴィア生まれ/アーティスト。10代でモデルを始め、20歳で自らの意思で片足を切断。ミュージシャンとしては2010年に初シングル「EP1」をリリース。12年ロンドン・パラリンピックの閉会式でのパフォーマンスが世界的に拡散し、一躍スターに。現在マサチューセッツ工科大学(MIT)メディア・ラボのディレクターズ・フェロー。photo © Lukazs Suchorab

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